2011年3月18日金曜日

燃えあがる緑の木

大江健三郎 著     新潮文庫


『楽園への道』(バルガス=リョサ)ですっかり「長篇好き」の自分を
再確認してしまった勢いで、次なる標的に選んだのが『燃えあがる
緑の木』三部作であった。いまのところ、大江さんの小説の中でい
ちばん長い。その長さゆえ今まで読むのをためらっていたというの
もあるが、イェーツの詩から来ている「燃えあがる緑の木」という題
そのものが、あんまり面白そうな予感がしなかった。3巻それぞれ
にサブタイトルがついてるが、その1「『救い主』が殴られるまで」、
その2「揺れ動く<ヴァシレーション>」、その3「大いなる日に」とあっ
て、これを見て「うひょ、おもしろそう」と思う人がはたして居るのか
疑問である感じなのもあり、要はあまり気が進まず、長い間本棚で
放置されていた。
春樹でいうと『ねじまき鳥』ぐらいの長さであって、読むのにかなりの
時間を要したが、やはり長篇は良いね。悦楽、ですよ。その費した
莫大な時間が、莫大であればあるほど、愛おしくなってくるものだ。
もちろん面白ければ、の話だが。

本書は『懐かしい年への手紙』の直接の続編という趣もあるが、こ
の時期の大江さんの小説は、作品どうし繋がりのあるものが多い
ので、どれがどれの続編と単純にいうのは難しい。そして、それが
どういった繋がりなのかを、知らない人に説明するのは更に難しい。
いわば「ひとかたまりの世界」であって、「興味あったら読んでみて
よ、おれは好きだけどね」と言うほかにない。ただ、「ギー兄さん」を
めぐる一連の物語、とくくれば『万延元年のフットボール』『懐かしい
年への手紙』『燃えあがる緑の木』が3部作ということになるかもし
れない。
ちなみに『万延元年』の頃に比べると、もう相当に読み易い文章に
なっている。『万延元年』は読みづらかった。さらにちなみに私は
『同時代ゲーム』を2度読もうとして2度とも挫折している。

今回読みながら思ったのは、大江さんは非常にオーソドックスな
「長篇小説」に準じる形で、この小説を書いているんだな、という事
だった。各巻の終わりに向けて、「スペクタクル」というとおおげさ
かもしれないが、張っておいた伏線を回収しながら、話を徐々に
盛り上げていき、最後それが何らかの形で(たとえば「救い主」が
殴られる)破裂するという構成に律儀になっている。
しかし、他の人の書く小説と似ている部分はそこだけで、あとは何
にも似ていない、大江さんだけの世界が広がっている。
それを「悦楽」と思うかどうかは、それは人それぞれだけれども。

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