2022年9月25日日曜日

読書⑫


『宝石/遺産 モーパッサン傑作選
モーパッサン 著 太田浩一 訳
光文社古典新訳文庫

『女の一生』は私にはまったくおもしろくな
かったので、いやでも短篇ならと思って買っ
てあったのを思い出した。
一読、やはり主戦場はこっち、と思うぐらい
粒ぞろいの良い短篇集である。決して長いと
はいえない作家人生で、300を超える短篇を
書いて書いて書きまくったモーパッサン。
アイディアと会話で読ませていく「車中にて」
「難破船」は、ユーモアの分量が絶妙である。
一方でしっかりとストーリーが練られた、中
篇の趣きの「遺産」「パラン氏」は、意外な
結末と苦い後味、人間への冷徹な視線が秀逸。
短篇集は古典新訳文庫から3つ出ている。早速
ほかの2冊も注文…。













『トニオ・クレーガー』
トーマス・マン 著 浅井晶子 訳
光文社古典新訳文庫

自伝的要素が濃いという作品って、なんとな
く名作(と言われる)確率が高いような気が
する。と書いてみて、何か誰もが納得の例を
挙げようとしたけど、『ペーター・カーメン
ツィント』しかパッと思いつかない。「名作」
と呼ばれることが多いのは、あるいは映画の
方かもしれない。監督の自伝的要素が入って
ると、けなしにくいよね。

本作は3部構成になっており、それぞれテイ
ストがまったく異なる。最初の少年期の、同
性への淡い恋心みたいなのは、ヘッセを思わ
せる。主人公の思いが、金髪の美少年ハンス
にほとんど届いていない様子なのがまた切な
いし、ヘッセ風。
青年期の藝術論は、正直言ってうっとうしい。
ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』でも延
々と藝術論を戦わせるシーンがありましたね。
私は寝そうになりました。
最後、中年になってから、生まれ故郷の北ド
イツの街を経由してデンマークへと旅する行
程が描かれる。
全篇を通じて、「名前」への拘泥が興味深い。
北ドイツや北欧の響きがあるというインゲボ
ルグ、ハンス・ハンゼン、そして異国風の名
前であるトニオ・クレーガー。デンマークで
インゲボルグとハンスに再会したのかと思っ
ていたら、解説によると別人らしい。そうい
えば意味の分からない一文があった。翻訳は
むずかしいですね。



2022年9月18日日曜日

読書⑪

 
『テヘランでロリータを読む』
アーザル・ナフィーシー 著 市川恵里 訳
河出文庫

父はテヘラン市長という名門に生まれ、欧米
で教育を受けた著者は、1979年のイラン革命
直後に帰国し、テヘラン大学で教鞭をとり始
める。英米文学を中心に、イスラーム的な考
えとは相容れないものも関係なく教えたが、
結局81年にヴェールの着用強制をめぐって大
学当局と対立し、大学から追放される。

その後、優秀な女子学生だけを集めて、秘密
の読書会を毎週木曜日に自宅で開くわけであ
る。イスラーム革命により、女性の権利は著
しく制限され、ひとりで街を歩くことさえも
ままならなくなった折に、みんなで集まって
『ロリータ』を、『デイジー・ミラー』を読
み、議論する。話題は当然、現体制の抱える
矛盾を鋭くえぐったり嘲笑したり不満をぶつ
け合うような内容にもなる。それがどれほど
のリスクを伴い、覚悟の要る行為なのか、そ
れは時間も空間も遠く隔たり、政治と宗教の
結びつきの弱い日本(最近長く政権に居座っ
ていた人物は、そうじゃなかったみたいです
が!)に暮らす私にはとうてい肌身で実感す
ることはできないが、想像することはできる。

全4章はそれぞれ「ロリータ」「ギャツビー」
「ジェイムズ」「オースティン」と作家や作
品の名前が付けられており、さまざまな小説
・フィクションを縦軸に、当時のイランの
「激動の」社会状況の中で、著者が何を考え、
どのように行動したかがつづられる。その内
容は、知識人とはかくありたいと思うような
ものである。














『硝子戸の中』
夏目漱石 著   新潮文庫

漱石は「修善寺の大患」を経て、いわゆる漱
石山房に戻り、療養していた。書斎と庭との
間には硝子戸があり、執筆しながら時おり庭
を眺めていた。「書斎にゐる私の眼界は極め
て単調でさうして又極めて狭いのである」と
ある(仮名づかいは改めた)。
漱石山房は牛込区(現在は新宿区)早稲田南
町にあり、今は公園と記念館が建っているら
しい。いちど訪ねてみよう。

解説からの孫引きになるが、当時の漱石は新
聞社からもお荷物扱いに近い状況だったらし
く、現在の文豪・夏目漱石の像とのギャップ
には驚く。

 社内的には、漱石にはかつての池辺三山の
 ような有力な庇護者もなく、殊に「修善寺
 の大患」以来は、病気ばかりしている落ち
 目の小説家に過ぎない
     江藤淳『漱石とその時代 第五部』

まとまった随筆としては最後の作品となった。
内容は、飼い犬の死や、書いた原稿や絵画を
見てくれという依頼に閉口した話から、幼少
期の思い出まで、各回によっていろいろであ
る。どことなく「死」の影のつきまとう話が
多い気がするのは、思い過ごしではないだろ
う。

どうでもいいことだが、漱石は若冲が嫌い
だったらしい。「私はまたあの鶏の図が頗る
気に入らなかったので~」という記述がある。


2022年9月10日土曜日

読書⑩


 『ジョン・フォード論』
蓮實重彥 著   文藝春秋

いちいち「誰もが知っている」とか「あまり
にも有名な」とかが多くてうるさいし、「~
を見逃す者はいまい」とか言われるとイラッ
とくるのだが、しかしそれでもおもしろい。
反感を覚えながらもただの批評を超えたもの
を感じるのは、確実に「身銭を切ってる」感
じがあるからだ。なんせ著者は小学生の時か
らの筋金入りのフォードのファン。今でこそ、
大半の作品をDVDで簡単に観ることができる
が、そんなものの無い昔は、それこそすべて
のショットを見逃すまいとスクリーンを凝視
し続けてきただろう。しかも本書を書くにあ
たって確認したい箇所が出てきても、該当箇
所だけ見直すのではなく、必ず映画の全篇を
観ていたというのだから、どうかしてる。

この本を読むためだけに、この2年ほど予習
のためにBSで放送されるフォードの映画を
観るようにしていたが、けっこう代表的なと
ころが網羅されていたようで、とても助けに
なった。私はたったの12本観たにすぎないの
だが、まあはっきり言ってそれほどおもしろ
いとも美しいとも思えない作品がほとんど。
でももし『リオ・グランデの砦』や『駅馬車』
を観ていなければ、本書が何を語っているの
かも分からなかっただろうから、無駄ではな
かったのだろう。














『男も育休って、あり?』
羽田共一 著    雷鳥社

とある附属小学校の体育の教師である著者。
私は知らなかったのだが、附属小学校だと
担任が全教科を教えるのではなく、教科ご
とに教師が入れ替わって教えることがある
らしい。
著者は長女が生まれたときと長男が生まれ
たとき、それぞれ3か月の育休を取得した。
しかし小学校という職場特有の事情や、運
動会の運営なども担当する体育教諭という
仕事の特性(要は2学期がもっとも、段違い
に忙しいということらしい)、それにあい
にくの新型コロナの流行という事情までが
重なって、いろいろな煩悶や決断があった
と。そういった、育休を「取るまで」のあ
れこれと、育休中の過ごし方の両方を、い
かにも理系的思考の持ち主という感じで、
あとから整理したにしても、えらくきっぱ
りと理路整然と書き記している。

まあ情報としては有益だが、読んでいてお
もしろいかというと、そういうわけでもな
い。そしてこのタイトルで結論が「育休は
なし」だとそれはそれでおもしろいが、も
ちろん育休は「あり」ということである。


2022年9月6日火曜日

読書⑨

 
『最後の大君』
スコット・フィッツジェラルド 著
村上春樹 訳    中央公論新社

1930年代ハリウッドの映画プロデューサーを
主人公に据えた、フィッツジェラルド最後の長
篇小説。第6章を執筆中に作者は亡くなった。
未完の作品であるが、様々な構想メモや、手紙
の中で執筆中の小説について展望を述べていた
り、チャプターごとのアウトラインの詳細な覚
え書きが残されており、全9章の長大な物語が
想定されていたことが分かっている。

多くの登場人物と複雑な人間関係がスマートに
時に謎めいて描かれているが、本筋は妻を亡く
した映画プロデューサーのスター氏と、偶然に
出会った亡き妻に似たキャスリーンとの、オト
ナの恋といったら安っぽく聞こえるが、微妙な
心理と駆け引きと、本心を隠しながらの絶妙な
会話と…ということになろう。読んでいても本
当におもしろいのだが、自分の死期が近いこと
をフィッツジェラルドが知っていたのかどうか
はわからないが、人生の最期にこれを書いてい
たのかと思うと、読みながら胸に迫るものがあ
る。

未完の小説って、あまり食指が動かない、と
『明暗』の時にも書いた気がするが、やはり読
んでみるものだ。どちらも未完であることは不
思議とあまり気にならない。むしろ未完である
がゆえに生々しく浮かび上がるものがあるよう
にも思う。そして思えば『明暗』も、漱石とし
てはいちばん長い小説になるはずだった。














『すぐ寝る、よく寝る赤ちゃんの本』
和氣春花 著   青春出版社

ねんねトレーニング、略して「ねんトレ」な
どというらしい。赤ちゃんの夜泣きは、夜中
にふと目覚めたときに、自力で眠りに戻れず
に泣いてしまうのが主たる原因ということで、
自力で眠れるちからをトレーニングで身につ
けさせようという本である。