2022年9月18日日曜日

読書⑪

 
『テヘランでロリータを読む』
アーザル・ナフィーシー 著 市川恵里 訳
河出文庫

父はテヘラン市長という名門に生まれ、欧米
で教育を受けた著者は、1979年のイラン革命
直後に帰国し、テヘラン大学で教鞭をとり始
める。英米文学を中心に、イスラーム的な考
えとは相容れないものも関係なく教えたが、
結局81年にヴェールの着用強制をめぐって大
学当局と対立し、大学から追放される。

その後、優秀な女子学生だけを集めて、秘密
の読書会を毎週木曜日に自宅で開くわけであ
る。イスラーム革命により、女性の権利は著
しく制限され、ひとりで街を歩くことさえも
ままならなくなった折に、みんなで集まって
『ロリータ』を、『デイジー・ミラー』を読
み、議論する。話題は当然、現体制の抱える
矛盾を鋭くえぐったり嘲笑したり不満をぶつ
け合うような内容にもなる。それがどれほど
のリスクを伴い、覚悟の要る行為なのか、そ
れは時間も空間も遠く隔たり、政治と宗教の
結びつきの弱い日本(最近長く政権に居座っ
ていた人物は、そうじゃなかったみたいです
が!)に暮らす私にはとうてい肌身で実感す
ることはできないが、想像することはできる。

全4章はそれぞれ「ロリータ」「ギャツビー」
「ジェイムズ」「オースティン」と作家や作
品の名前が付けられており、さまざまな小説
・フィクションを縦軸に、当時のイランの
「激動の」社会状況の中で、著者が何を考え、
どのように行動したかがつづられる。その内
容は、知識人とはかくありたいと思うような
ものである。














『硝子戸の中』
夏目漱石 著   新潮文庫

漱石は「修善寺の大患」を経て、いわゆる漱
石山房に戻り、療養していた。書斎と庭との
間には硝子戸があり、執筆しながら時おり庭
を眺めていた。「書斎にゐる私の眼界は極め
て単調でさうして又極めて狭いのである」と
ある(仮名づかいは改めた)。
漱石山房は牛込区(現在は新宿区)早稲田南
町にあり、今は公園と記念館が建っているら
しい。いちど訪ねてみよう。

解説からの孫引きになるが、当時の漱石は新
聞社からもお荷物扱いに近い状況だったらし
く、現在の文豪・夏目漱石の像とのギャップ
には驚く。

 社内的には、漱石にはかつての池辺三山の
 ような有力な庇護者もなく、殊に「修善寺
 の大患」以来は、病気ばかりしている落ち
 目の小説家に過ぎない
     江藤淳『漱石とその時代 第五部』

まとまった随筆としては最後の作品となった。
内容は、飼い犬の死や、書いた原稿や絵画を
見てくれという依頼に閉口した話から、幼少
期の思い出まで、各回によっていろいろであ
る。どことなく「死」の影のつきまとう話が
多い気がするのは、思い過ごしではないだろ
う。

どうでもいいことだが、漱石は若冲が嫌い
だったらしい。「私はまたあの鶏の図が頗る
気に入らなかったので~」という記述がある。


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