2016年10月22日土曜日

いつ以来だろう読書


『漢字と日本語』
高島俊男 著     講談社現代新書

ご健在でいらして嬉しいかぎり。

実はずいぶん前に読了していたが、「もう1冊」をなかなか
読まなかったため、こんなに遅くなってしまった。おかげで
内容はほとんど忘れてしまった。えーと、なんだったっけ。

まあとにかく、私はこういうコラムをこそ、最上級のコラム
と考えるものである。私が好きなコラムの書き手は、
①高島俊男、②小林信彦、③川上未映子
そこに、みうらじゅんと鈴木涼美と糸井重里がからむ、と
いう構図である。









『夜を乗り越える』
又吉直樹 著  小学館よしもと新書

タイトルに惹きつけられて、読まされてしまった。
又吉の語る読書論で、「夜を乗り越える」。いったいどういう
ことなんだろう。あるいは「読書」そのもののことか。

又吉の本の読み方と、私の読み方とはずいぶん違うようだ。

 当時僕が本に求めていたのは、自身の葛藤や、内面のどう
 しようもない感情をどう消化していくかということでした。近代
 文学は、こんなことを思っているのは俺だけだという気持ち
 を次々と砕いていってくれました。その時、僕が抱えていた
 悩みや疑問に対して過去にも同じように誰かがぶつかって
 いて、その小説の中で誰かが回答を出していたり、答えに辿
 りつかなくとも、その悩みがどのように変化していくのかを小
 説の中で体験することができました。


私は自分をとりまく環境に疑問を抱いたり、内面と葛藤したり
ということがほとんど無い子どもだった。今でも無いのだが。
いくぶん「おめでたい」と言えなくもないと思う。「深みがない」
とも言える。だから上記の引用のような本の読み方をしたこと
は一度も無い。

結局私は「読んでいて気持ちのいい文章」や「心に引っ掛か
る文章」を追い求めて本を読んでいただけだったと思う。それ
は今でもあんまり変わっていない。
高校時代は村上春樹に宿命的に惹きつけられて、読み耽っ
ているうちに過ぎて行った。大学では芥川賞受賞作を全部読
んだり、漱石やドストエフスキーや大江健三郎を読んでいる
うちにこれまた過ぎて行った。

私も又吉と同じく太宰治は好きだが、どちらかというと、その
文章の"技巧"に心ひかれるものがある。もちろんそれだけ
じゃあないけどね。

しかし実に興味深い人物だ。又吉直樹。

2 件のコメント:

  1. へえ、さうなんだ。そのやうに自己観察する佐伯君が興味深い。村上春樹もさういふ人なのかとふと考へてしまひました。

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  2. たしかに春樹は葛藤とか無縁さうですね(笑)

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