2024年6月23日日曜日

読書④

 
『三つの物語』
フローベール 著 谷口亜沙子  訳 光文社古典新訳文庫

モーパッサンの短篇がとても好みに合ったの
で、フローベールの短篇はどうだろうと思い、
読んでみる。読んでから知ったが、本書はフ
ローベール晩年の、形になった「最後の作品」
といっていいものらしい。おそるべき「推敲
のひと」であったフローベールが、自身の最
後(になるかもしれない)の短篇集に多大な
情熱を注いだであろうことは想像がつく(よ
うな気がする)。

まず「素朴なひと」。無学で、文盲で、どこ
までも愚直な、純真な召使いの一生の話なの
だが、「素朴なひと」というタイトルにアイ
ロニカルな響きを感じていたのは途中までで、
最後まで読むとこのタイトルにやっと追いつ
けたという感じがする。

二つ目は「聖ジュリアン伝」。残虐で自信過
剰な主人公が聖人になるまでの物語で、フロ
ーベールの地元の教会にあったステンドグラ
スに描かれていた絵がもとになっているとい
う。動物を殺す描写が延々と続いたり、血な
まぐさい話だが、無駄のない文章の密度が高
く、読みごたえ充分である。

最後は「ヘロディアス」。戯曲やオペラなど
に多く翻案されている新約聖書の「サロメ」
のエピソードに基づいている。この小説は特
に登場人物や前提となる状況が分かりにくく、
いったい何の話をされているのか最初はまっ
たくピンとこない。しかし巻末の訳者による
親切な解説によれば、それは当時のフランス
の読者にしても同じことだから、気にせず読
み進めればよろしいとのこと。フローベール
はちゃんと計算して省略する部分と説明を補
うべき部分を峻別しており、それを事細かに
解説してくれている。古典新訳文庫を買う意
味はこういうところにあるのである。














『保守のヒント』
中島岳志 著   中公文庫

「保守」の意味するところがあいまいになり、
ときに右翼系の政治家に都合よく利用されて
いるような現状を憂う著者は、本書の中で
(だけでなく他の著書の中でも)何度も何度
も「保守」の定義づけを繰り返す。

 保守は「復古」でも「反動」でも「進歩」
 でもない。不完全な人間は、不完全な社会
 しか造ることはできない。人間が完成不可
 能な動物である限り、パーフェクトな社会
 は現前しない。保守は人間の理性への過信
 を諫め、能力の限界を冷静に見つめる。そ
 して、個人の個性が歴史という時間軸と共
 同性という空間軸の交点において構成され
 ることを、保守主義者は静かに受け入れる。
 保守は性急な理論主義を退け、歴史の風雪
 に耐えてきた伝統や良識を重んじる。保守
 は歴史の連続性と具体性の上に立ち、変化
 の渦のなかでも恒常的存在として継承され
 る精神の形を大切にする。

なるほど保守がそういうものなら、私もその
考えに賛同できる部分は多い。私が「保守」
という言葉に身構えてしまうのは、結局のと
ころ安倍晋三が原因である。そういうひとは
多かろう。著者はしかし、安倍晋三の政治信
条は単なる「反左翼」「反進歩的文化人」で
あって、保守とは程遠いものであると断じる。
その安倍晋三が保守を自称してしまったこと、
さらにそこに世の中の右傾化とが相まって、
「反左翼的なもの」がすべて保守ということ
になって今に至るというわけである。

とまれ、本書でおもしろいのは政治状況の分
析よりも、著者が橋川文三にのめりこんだ経
緯や、明治・大正の超国家主義者たちの文章
への関心などの、どちらかというと人文的な
方面である。
福田恒存も、私でも読んだことがある有名な
著作が引用されている。孫引きとなるが書き
写そう。新仮名遣いなのが残念だが。

 私たちが真に求めているものは自由ではな
 い。私たちが欲するのは、事が起るべくし
 て起っているということだ。そして、その
 なかに登場して一定の役割をつとめ、なさ
 ねばならぬことをしているという実感だ。
 なにをしてもよく、なんでもできる状態な
 ど、私たちは欲してはいない。ある役を演
 じなければならず、その役を投げれば、他
 に支障が生じ、時間が停滞する――ほしい
 のは、そういう実感だ。
        『人間・この劇的なるもの』

まったくその通りというほかなく、なるほど
「保守」という文脈でこの文章を読めば、さ
らに腑に落ちるというものだ。



2024年6月9日日曜日

【LIVE!】 小沢健二


   monochromatic

 1. フクロウの声が聞こえる
 2. 天使たちのシーン
 3. ラブリー
 4. さよならなんて云えないよ
 5. 運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ)
 6. 台所は毎日の巡礼
 7. いちごが染まる
 8. River Suite 川の組曲
 アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)/いちょう並木のセレナーデ
 9. サマージャム'95
10. 魔法がかかる夜、大阪にいる
11. Noize
12. ある光
13. 輝夜神楽(巨大な哀しみの時代に)
14. ぶぎ・ばく・べいびー
15. 強い気持ち・強い愛
16. ライツカメラアクション
17. 今夜はブギー・バック
18. 台所は毎日の巡礼

(Encore)
 1. 彗星
 2. 流動体について
 3. 弾き語りメドレー ぶぎ・ばく・べいびー~魔法がかかる夜、大阪にいる~輝夜神楽(巨大な哀しみの時代に)
 4. ぶぎ・ばく・べいびー

                        5.8(水) NHKホール


monochromaticがテーマの東名阪ツアーとい
うことで、演出として照明に色を付けない。
それゆえ観客もmonochromaticな服を着てき
てください、という注文である。もともとオザ
ケンが嫌いなひとならもうこの時点で「そうい
うとこが嫌い」だと思うが、ファンはいそいそ
と「えー、何着ようかな」などとブツブツ言い
ながらもちゃんと考えてライブに臨むのである。

バンドも良いバンドであるし、NHKホールは音
も良いし、新曲がほどよく混ざったセットリス
トもよく練られているし、出ないことになって
いたスチャダラパーもちゃんと出演し、おおい
に満足であった。今回もサポートギターは無し。
自信の表れだと思うが、しっかりと高い水準を
保っているからさすがである。「流動体につい
て」のギターソロなんて「もっとやればいいの
に!」だった。

ベストアクトは「Noize」か、と思ったぐらい
よかったのだが、「ある光」がそれを上回って
きた。前もベストに選んだからまたか、とは思
うものの、どうしようもなく良かった。もとも
と宗教的な側面のある歌だと個人的には捉えて
いるのだが、チューブラーベルが加わっていっ
そう神々しさが増した素晴らしい演奏だった。
「僕のアーバンブルースへの貢献!」という
小沢君の叫びで感慨に打たれる。


2024年5月26日日曜日

悪は存在しない

 
☆☆☆★★★  濱口竜介   2024年

あのラストカットの意味をずっと考えている
が、正直言って分からない。しかし諦めきれ
ずに何度も何度も、頭の中でラストシーンを
再生してみる。そしてそこに至るまでの過程、
どうしてああなってしまったのか、映画の始
まりからいま一度考えてみる。しかもそこに
「悪は存在しない」と濱口は云うのである。
うーん。

真上に向けて固定されたカメラによる移動
ショット(真俯瞰と逆のこのショットはなん
と呼べばいいのか)でとらえられた冬の森。
枝の連なりが次第に別の何か禍々しいものに
見えてくる。もともと石橋英子のライブで流
す映像を制作してくれという依頼から生まれ
た映画だからか、ワンカットが長く、時に技
巧的でもある。しかしこの役者たちの「そこ
で生きている」感はいったいどこからうまれ
てくるのか。かくも演出とは奥の深いもので
すね…。

    4.27(土) Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下




2024年5月19日日曜日

読書③

 
『オルラ/オリーヴ園 モーパッサン傑作選
モーパッサン 著 太田浩一 訳 光文社古典新訳文庫

古典新訳文庫のモーパッサン傑作選も3冊目。
モーパッサン晩年の作品を収める。充実したシ
リーズだったので、これで最後というのは寂し
い。
「怪奇小説」とでも呼べそうな「オルラ」が異
色である。
「オリーヴ園」を読むと、短篇小説はやはり
「切れ味」がいちばん大事だなと思わされる。
お手本のような秀作。
「ラテン語問題」、「離婚」、「オトー父子」、
「ボワテル」、「港」などもそれぞれ粒ぞろい
である。まあ名手が書いた膨大な数の短篇から
厳選しているのだから粒ぞろいは当たり前かも
しれないが、150年前の小説をいま読んでも充
分に鮮烈なのには驚かされるばかりである。













『子どもの育ちと脳の発達』
佐藤佳代子 著   文芸社

27年間保育の仕事をしてきた著者による育児
書なのだが、すこし変わっているのは、著者
が脳科学を学んだということ。0歳~6歳まで
の子どもの発達と、その過程で表れるさまざ
まな特質(イヤイヤ期や人見知りや愛着行動
など)を、保育の仕事の経験則だけでなく、
脳科学的に説明することで、ある程度の理屈
が分かると親の方も気持ちの余裕ができるで
しょう、ということである。
とはいえ「本当に危険なこと以外は子どもが
何をしても「ダメ!」は言わないようにしま
しょう」と言われても、いざ悪戯を目の前に
するとなかなか難しいのだが、まあそれでも
「いやもしかしたらこの子の大脳辺縁系では
いま…」とか考えて一瞬、間を置くことはで
きるかもしれない。

2024年4月29日月曜日

オッペンハイマー

 
☆☆☆★★  クリストファー・ノーラン 2024年

初めは日本での公開が決まらなかったという
が、クリストファー・ノーランの新作が観ら
れない国なんて住みたくないわ。しかも劇中、
オッペンハイマーは「原爆が戦争を早く終わ
らせて多くの人間の命を救った」という説に
は与していない。トルーマンに「弱虫」とく
さされるほど原爆開発を悔いているという描
かれ方なのに、ノーランほどの作家の映画を
公開すらしないなんてのはおかしな話である。

いつものように、予備知識ゼロで観ようかと
も思ったのだが、おそらくアクション少なめ
の会話劇である。3時間もの間置いてけぼり
を食らうのはさすがにキツいと思い、補助線
として「映像の世紀 バタフライエフェクト」
の「マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄
光と罪」という回を観てから臨んだ。これが
成功のようで失敗だったかもしれない…。

たしかに理解度は5割増しだったと思う。アー
ネスト・ローレンスというサイクロトロンの
開発者であるライバルの存在や、同じく物理
学者の弟がいて、トリニティ実験に参加して
いたことなど知らないことばかりだった。し
かし、まるで番組は45分で映画を要約したか
のようだった。同じ原作に依拠したから、と
いうことなのだろうか…。理解度が高まった
のと同時に映画としての感興が削がれたのは
疑いない。「映像の世紀」は本当の映像が流
れるので、場面によっては映画を凌ぐほどド
ラマチックだったりもした。映画ではアメリ
カに亡命したアインシュタインが出てきて、
オッペンハイマーと会話を交わすが、どうも
嘘くさいと思ってしまった。ドイツの若き天
才・ハイゼンベルクとの関係などは、映画は
ほとんど省略していたので、「映像の世紀」
の方が詳しかったほどである。

しかしロバート・ダウニーJr.っていつの間に
あんなおじいさんになったんだ。いまだに
『ナチュラル・ボーン・キラーズ』のイメー
ジだったからびっくり…。

                       4.7(日) TOHOシネマズ池袋





2024年4月16日火曜日

DUNE 砂の惑星 PART2

 
☆☆☆★★ ドゥニ・ヴィルヌーヴ 2024年

冒頭の戦闘シーンは緊迫感があって良かった。
襲撃してきた相手を殺害したあとに、体の水
分を抜いて再利用するというのが「砂漠の民」
らしくて良いディテールである。その「搾水
器」みたいなのの気持ち悪い音が絶妙。

しかしその後の、予言の実現と復讐の成就の
展開となると、やはり途端にどこかで見たよ
うな話に堕すというのか、まあ端的に言って
しまえば、なぜかドキドキしないのである。
関ジャニの横山を坊主にしたようなファルコ
ンネン家の悪役も、いまいちだった。PART1
であんなに夢見た砂漠の民の女の子とも昵懇
になれたのに、ロマンスもやはり復讐の責務
の前にはかすんでしまう。まああんまりイチ
ャイチャされても困るのだが。

PART1でも音響のおもしろさが際立っていた
が、今回もいまひとつハラハラしない物語を、
音でがんばって盛り立てていたと思う。予言
者みたいになった母の「命令する声」の圧力
とか、なかなかおもしろかった。ハンス・ジ
マー先生の音楽もいつものように荘厳である。

        3.13(水) グランドシネマサンシャイン




2024年4月3日水曜日

カラオケ行こ!

 
☆☆☆★★   山下敦弘   2024年

『落下の解剖学』のようなワンカットたりとも
緩みのないシリアスな映画も別に嫌いじゃない
が、こういうばかばかしくてちょっとしみじみ
するような映画はもっと好みである。比べる必
要もないのだが。

ヤクザが合唱部のリーダーの男の子にカラオケ
の指導を頼みに来るという冒頭の、大げさな稲
光に笑えるかどうかが分かれ目という気がする。
「紅」の歌唱指導を求めにくるヤクザを綾野剛
が演じるが、この映画は綾野剛を味わうための
映画だと言えるだろう。すっかりいい役者になっ
た。脚本は「MIU404」でもタッグを組んだ野
木亜紀子。

個人的には合唱のすべてを精神論でかたづけよ
うとする薄っぺらい顧問の先生を芳根京子が演
じていて、ツボだった。

                  2.25(日) TOHOシネマズ日比谷