『漢字雑談』
高島俊男 著 講談社現代新書
高島さんの最新作は、PR誌『本』に連載していたコラム集。
読了してしまうのが惜しく、ちびちびと読んでいた。相変わらずハズ
レなしの面白さなんで、高島さんの本を読んだことないひとは早く読
んでください。
今回は中でも、万葉集の有名な歌から多方面に話が広がっていく
1篇が印象的だった。
柿本人麻呂の
ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
である。当の万葉集にはしかし、この歌がこのように漢字かなまじり
で書いてあるわけでは無論ない。まだひらがなは発明されていない
から。万葉集には、以下の漢字が並んでいるだけである。
東野炎立所見而反見為者月西渡
さてこれをどう読むのか。
平安末期に書写された本に、既に以下の読みが見える、とのこと。
あづま野のけぶりの立てるところ見てかへり見すれば月かたぶきぬ
「月西渡」を「月かたぶきぬ」と意訳(?)している以外はほぼ素直に
読み下している。が、両者の読みを比べた時、歌としての格調は前者
の読みに遠く及ばない、との高島さんの判定である。実際そうですよね。
では、前者のようにカッコよく読み下したのは誰なのか。
賀茂真淵なのだそうです。本居宣長の師匠。
……このまま受け売り話を続けても意味ないのでやめますが、こういう
話が盛りだくさんの本なのです。私にはたまらんです。
『街場の大学論 ウチダ式教育再生』
内田樹 著 角川文庫
日本の高等教育はどういう状況にあり、これからどうなっていくのか。
ブログ記事の中から「教育」に関するものを集めたら1冊本が出来て
しまうというのも、すごいですね。中でも、他の文章と毛色は違えど、
日比谷高校の思い出をつづった一篇が秀抜であった。私はこういう
ノスタルジーを湛えた文章がけっこう好きなのだが、だからといって
普段からノスタルジーに浸ってばかりのひとが書いてもダメである。
内田樹とか高島俊男とか、あまり懐古趣味の無さそうなひとが不意
にそういう文章を書くと、意表を突かれてグッときてしまう。
やっぱり「読んでて気持ちいい」というのは本にとって大事なことです
ね。これをウチダ式にいえば、
「『読んでいて気持ちいい』というのは本にとってのアルファでありオメ
ガである」
ということになろうかと思う。
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