2018年10月1日月曜日

読書⑥


『浮世の画家』
カズオ・イシグロ 著  飛田茂雄 訳  ハヤカワepi文庫

この陰鬱な小説における、淡々とした筆致でもって、
少しづつ少しづつ物語と、その中核にある「記憶」を
浮かび上がらせていく手法は、まさしくカズオ・イシ
グロの真骨頂ともいうべきものだろう。やはり他では
得難いものだと思うし、いまは久しぶりにおもしろい
小説を読んだという満足感に浸されている。

画家の父親が、その名も「紀子」という娘の縁談につ
いてあれこれ気を揉むという物語の骨格は、どう見て
も小津映画からのいただきである。その枠組みに、戦
時下で芸術家が体制に対してとった態度という問題を
重ね合わせることで、完全に自分のものにしている。
主人公はしばしば自らの画業と、それに対する世評、
そして自分が育ててきた後進たちについて、「誇り」
と「満足」を口にする。あまりに頻繁に口にされるそ
れらを冷酷に打ち砕くかのような小説の構成に、イシ
グロの信念を見たような気がした。

だいぶ原文よりも日本人が読む用に踏み込んで訳した
という訳文も良かった。文章が良くなければこの小説
は台無しだ。









『江藤淳と大江健三郎』
小谷野敦 著   ちくま文庫

もうおもしろくてしょうがなくて、けっこう短期間で
読んでしまったのだが、ふと我に返ると、こういう本
をおもしろいということ自体が特権的なふるまいなの
ではないだろうかなどと思ってしまう。
江藤淳と大江健三郎のダブル伝記だ。実に細かく事実
関係、書いた文章、対談や座談会はもちろんのこと、
家系や逸話や噂話のたぐいまで検証し、網羅して、有
意味なものを残し、たまに小谷野敦の短い感想が入る。
それがひたすら続くだけなのだが、ついつい時を忘れ
て読み耽ってしまった。といってもわたしは江藤淳の
ことはほとんど何も知らないので、大江さんのパート
がおもしろかった。大江さんのユーモア感覚がよく表
れている文章を優先的に載せているのが良い。

『キルプの軍団』が傑作というのは同意する。『M/T
と森のフシギの物語』と一緒に入門編としてぴったり
だとかねてから思っていた。




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