2020年6月24日水曜日

読書⑯


『美しいアナベル・リイ』
大江健三郎 著   新潮文庫

老齢の作家が日課の散歩中に、かつて国際
的に活動していた映画プロデューサーであ
り、東大の同級でもあった男と再会する。
二人は三十年前、『ミヒャエル・コールハ
ースの運命』をいくつかの国で別々に映画
化するプロジェクトにおいて中心的な役割
を果たしていたが、アクシデントがあり計
画は頓挫した…。

小説の大部分は三十年前の映画プロジェク
トの経緯なのだが、そこに主演女優として
「サクラさん」という、子役時代から人気
のあった架空の女優が登場する。この人物
は誰にも似ていないように注意深く書かれ
ていて、原節子ではないと言うためにわざ
わざ「鎌倉には別の『永遠の処女』と言わ
れる往年の大女優が住んでいるが」(正確
な引用ではありません)というようなエク
スキューズまで書いてある。

それにしても大江さんの変わった日本語の
文章を久しぶりに読むと「あぁ、私はまた
大江健三郎の文章を読んでいるんだ」とい
うちょっと危ない感じの歓びを脳が感じる
のである。
題名にある「アナベル・リイ」とは、ポー
の詩に出てくる美少女で、少女時代の可憐
なサクラさんを"アナベル・リイ"に見立て
て撮られた8mmフィルムの存在が、あと
あと大きな問題となる。








『静かな生活』
大江健三郎 著  講談社文芸文庫

大江家を思わせる一家を主人公とした、フィ
クションと私小説の"あわい"を行くような、
まあ言ってみれば「いつもの小説」なのだ
が、3人きょうだいの真ん中、長女の"マー
ちゃん"が物語の「語り手」となるところが
異色である。なんだか文章もいっきに瑞々
しくなったようで、読んでいて新鮮であっ
た。

両親がアメリカに半年行くことになり、家
には子ども3人が残されることになる。よっ
て小説の中心はおのずと知的障害のある長
男のイーヨー、語り手の長女のマーちゃん、
受験勉強中の次男のオーちゃんたちの日常
である。作家自身を思わせる「お父さん」
の言動も、いちど娘のマーちゃんのフィル
ターを通して描写されることで、この作家
のユーモア感覚がもっとも好ましい形で表
出しているように思う。
小谷野敦はこの短篇集を非常に高く評価し
ていたが、わたしも同感である。






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