インド夜想曲
アントニオ・タブッキ 著 須賀敦子 訳 白水uブックス
ボンベイ、マドラス、ゴアと南インドを舞台に、失踪した友人を探し歩く
男を主人公にした奇妙な味わいの話。去年インドに旅行したばかりな
ので、そしてボンベイには二泊したので、そのとき目にした光景なんか
を懐かしくを思い出しながら読んだ。
主人公は一応居るものの、なんだか影が薄く、どちらかというと旅先で
出会うさまざまな人たち、そしてインドそのものを描くことに専念してい
るようだ。バスの待合所で畸形の男に占いをしてもらう場面が強く印象
に残る。
インド独特の空気がよく出ている小説だと思う。
読後、NHKの「わたしの世界遺産」という番組を見ていたら、「世界遺産
を舞台にしたおすすめの小説」として豊崎由美さんがこの本を紹介され
ていた。
これも同期が貸してくれたもの。けっこう良いとこ突いてくるので、すぐ読
んでしまう。
闊歩する漱石
丸谷才一 著 講談社文庫
御大による初期漱石論。『吾輩は猫である』『坊つちやん』『三四郎』を称
揚する一方で、後期の『こゝろ』『明暗』などを「初期の漱石にみなぎつて
ゐた祝祭的文学観は失はれて、じつに不景気なことになつてしまつた」と
バツサリである。さすがは御大といふ感じ。
私はダントツで『坊つちやん』、次が『猫』、『それから』をはさんで『三四郎』
の順で好きなので、初期が好きといふことにならう。私が中学生だったら、
本書を通してあらためて見えた漱石とその作品について、春休みの宿題
の読書感想文を書きたいところだが、社会人となってしまった今、春休み
など無いのであった。
読書感想文といへば、とても苦労して、忍耐に忍耐を重ねて『猫』を読み
通したことを思ひ出す。そして当然なんにもおもしろくなかった。あれが中
学3年(?)か。思へば遠く来たもんだ。海援隊ぢゃないよ。
こんばんは。前田です。
返信削除ブログ覗いたら、漱石のことが書いてあつたので、興味深く讀んだ。『猫』の評價がそんなに高いとは知らなかつた。自然主義嫌ひで、私小説嫌ひの丸谷大先生だから、後期の漱石が嫌ひなのは分りますが、『坊つちやん』を代表作とするのには氣が引けるね。『それから』もいいが、『道草』もいい。漢詩は讀まないけれども、高島先生はそれもいいと言つてゐるよね。何より、志が高い。現代の作家にそんなものを求めると、アナクロニズムと笑はれるだらうが、漱石にはそれがある。丸谷先生だつて、それが西歐の作家にはあることを知りながら、それを伏せて論じてゐる。それがあの人の缺點だね。『裏聲で歌へ君が代』なんてふざけたタイトルの小説が書ける作家の漱石評は、眉に唾つけて讀むのが丁度いいと思つてゐる。さういへば、最近丸谷さんは『坊つちやん』の「清」は御手傳いではなく、實は母親のことであらうと言つてゐる。他家に養子に出された漱石の悲哀は、母親への思ひを直截に語れないといふのだ。シャラクサイ解説だな。テクスト論も困るが、かういふ出自論で語るのもどうかと思ふ。
大阪辨で「どや顏」といふが、「どうだ分つたか」といふやうな顏をして「闊歩する才一」さんが、この本からは傳はつてきた。終はり
コメントありがとうございます。『猫』好きですよ。昔から、ではないです。読み返してからですね。
返信削除もちろん眉に唾つけて読むんですけど、それでも面白いと思わされてしまうのはさすがだなと(笑)
坊つちやんの清は実の母親説は、僕も文芸誌で読みました。「どや顔」の文章でしたねー。しかし「なるほど」とも思ってしまいました。